消骨について

消骨という考え方に疑問を訂する方は大勢いらっしゃると思います。
それはお骨に対する敬意、人間の精霊がそこにまだ宿っていると考える方。その考えは様々です。

ただ現代の科学で解き明かされているのは、生命体は、その身体から離れた時点で遺体として生命を持たないと考えるべきなのです。
命の起源もその終わりも科学ではまだ解明されていませんが、死というものを考えた場合、命というものが絶えた時点でそれは生物体ではないということです。
これを理解しない限り、死者との別れが成立しません。

人間はこれを何度も繰り返し、何度も人生を繰り返し送るのだと仏教を中心に、キリスト教でもそれを説いています。

神戸市立鵯越墓園伊屋ケ谷沿い無縁仏
神戸市立鵯越墓園伊屋ケ谷沿い無縁仏

墓を持たないという考え

お墓は日本古来からの死者へのともらいであって、その功績に応じたお墓が立てられていました。何百年も経ってそのお墓をともらうということも、仁徳天皇陵の例を出さずともお分かりいただけると思います。

しかし近年に多いのはお墓を所有したくない人たちの話です。

御墓の後継者がいないという真実です。子供は必ず先祖の墓を守っていくという暗黙の了解がありました。

ただ今の時代にそれを求めるのは難しく、核家族であり、都市部に出ていく若者にその墓守を託すのは酷なことです。それで今起こっているのは墓じまいです。

先祖のお墓と供に生きてきた先人たちには理解の付かないことだと思うのですが、この先孫やその先の世代が、お墓を守っていけるのかは大きな課題です。

例えば鹿児島県に先祖のお墓があったとして、それを管理し、保っていける人がどれだけいるでしょうか。両親亡き後、東京や大阪で生活する若者に、それを押し付けることはもうすでにできない。その子やその孫にいたっては、お墓の存在さえ希薄になってきます。

お墓の革命は、すでに起こっているのです。

この狭い国土の日本にあって、お墓を作り続けるのは無理ですしましてや少子化や人口流出によってその構造は壊れ切っています。

今考えるべきこの21世紀22世紀の哀悼の形をD-Solutionsで完成させたいと考えます。

行旅死亡人、という言葉はご存じでしょうか
これは明治43年に制定された言葉で、今で言う、失踪者のような扱いです。

法律的にはまだこの言葉が使われています。

現時点でこの数は年間約32000人(2018年調べ)に及んでいます。

行政はこれを火葬する義務がいまだあるのですが、その後の処置に困っていると聞き及んでいます。

引き取り手が全く現れないケースがほとんどで、そのまま市町村が預かったままでありそれも限界にきている都市部行政もあると聞いています。 (NHKクローズアップ現代より)

かなり年代の経ったご遺体は家族が現れるわけもなく、そのまま無縁仏として地下埋葬をするそうです。ただこれは率直に言いますと廃棄しているにすぎません。

以前はそのようなご遺体を埋葬していた寺社もありましたが、それはもう不可能な数になってきています。

寺院自体が困窮化し、廃業するところが後を絶ちません。その時にその寺院に預けていた遺骨はどうなるのでしょう。

今は「墓じまい」という潮流が流れています。いかに寺院と離れてお墓の処理をして、残った遺骨をどのように扱うのか。

色々方法はあります。 海洋散骨、樹木葬、など人の目に着かないところに置き去るということです。

ただこれにも問題はあり、仮に10万体の遺骨が沖縄の海に流された時、サンゴに与える影響は尋常ではなく、ほとんどのサンゴが口に遺骨が入って死んでいくということを想定する学者は少なくありません。

あまりに美しい形とされる海洋散骨でもこの事態です。

元より葬儀場の火葬も、限りなく二酸化炭素を吐き出し、それがしょうがないとされているのも事実です。もっと言えば、ご遺骨の中にすら六価クロムなどのような危険な成分が隠れています。

私たちが目指すのは、遺骨の存在価値とそれを守り切れない現代社会への一石です。
生命はいまだ解明されていませんが、死亡されて火葬されてしまったそのご遺骨にそののちというものが残るとは考え難いことで、永遠の生命というものを信じない方でも、朽ち落ちた遺骨に何かの意味を感じるのかが理解しがたいところです。家族を思う心は常に心にあり、骨にはないのではないのではないかと感じています。

墓じまいとともに、骨じまいを行うという一見不届きに思う現象も、冷静に考えれば理解できると思います。 この日本の核家族と少子高齢化の中において誰が祖先のお墓を守っていくのかはご自身の胸に聞かれればおのずと答えは出るのではないでしょうか。

新たに開発したHTNC方式は、決して二酸化炭素を一切出すのでもなくダイオキシンなども一切発生させません。

現時点では身寄りのないご遺骨の昇華を目的に始めてまいりますが、これがSDG’s の中の二酸化炭素削減にはかなり貢献ができるわけです。

例えばゴミ問題であったりプラステック問題にも対応できるものと考えております。

私どものような零細企業ではなしえないものを、あらゆる諸企業と協調しこの歩みを進めていきたいと、切に願っております。