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消骨「骨じまい」について

お骨の存在は、古代より現在に至るまで故人とのかけがえのない繋がりであったことは否めません。お墓(御陵)という文化が2300年以上前に存在したのは歴史学者が証明しています。

そのもととなる古代の考え方は、霊魂と肉体は同じものに宿る、というものです。宗教によってはこの考えが未だ残っていますが、21世紀を迎えた現代社会では、お墓とは別の意味合いになっていると見受けられます。

「墓じまい」という言葉を近年耳にします。少子高齢化がその最も大きな理由でしょうが、お墓詣りに遠方まで出向く、また命日やお盆などにも遠方の子息たちには難しい問題になっています。また都心のお墓1.5坪の料金は、地方では3LDKのマンションの価格です。

もう新たにお墓を立てる意味がないどころかその必要性を感じられず、諦める人がほとんどです。

寺院等が経営する納骨堂を考えてみましょう。

「ところによりその管理期間は20年と言われています。そのあとは合同墓といわれる地下共同墓地に埋められます。個人的なことですが、私の父は15年前に納骨堂に入り、あと5年で地球上のごみとなってしまうのです。」 この部分ですが、「一緒に両親と同じ場所に行けると思っていた私が浅はかでした。」都心の大きなお寺でも、今は毎年3回の供養を致しますと言いながら、時間が来ればそのスペースは他の方に貸し出すのです。これだけだとまだいいですが、その以外は合祀墓に持ち込まれます。永代供養などというものはそもそも存在しないという覚悟で預けねばなりません。ご僧侶も「お寺自身」も永代ではないのですから。

また「行旅死亡人」という言葉があります。明治32年に制定されたいまだに残る法律用語です。これは現代の身寄りのない孤独死また失踪死にあたります。そのお骨は行政によって火葬したのち、公告の後、数年後に各地の寺院に送られ、供養という選ばれた言葉で合同埋葬されています。言葉を選ばずに言わせていただくと、それは遺骨を土中に埋めてあたかも供養を行っているという宗教法人の言い訳にすぎません。

昨年2019年の死者は全国で138万人です。この遺骨を墓地におさめる、または海洋散骨で美しい形で納めるのは不可能になってきています。東京では火葬場も1週間以上待たされています。

年間32,000人におよぶこの孤独死(行旅死亡人)をこのような形でしか求められないのかが一番の疑問でした。

誰も引き取り手のない家族のない方、また引き取りたくない家族もあります。

この命の最終形を、各地方行政の敷地内に保管なされていることをずっと不憫に思っていました。

これが誰にも迷惑をかけず、自然界に戻ればご本人様にとっても必然的に地球の大気中に戻れる最善の方法ではないでしょうか。

私たちは自然に戻せ、地球環境も海洋破壊も一切汚さないただ一つの方法にたどり着いたのではないかと思っています。

内部高熱をもって、決して燃焼ではないバイオ分解を行い、水蒸気(空気)となって自然に帰って頂く、そして二酸化炭素等の物質を一切発生させないという新たな思考で、地球環境をそして先祖の久遠の供養を執り行ってまいります。

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Waste という言葉の意味

Wasteと聞くとごみを扱うように感じてしまう方々が大半だと思います。
不要物の処理という意味も持ちます。

飛躍しますが、人の遺骨はどうでしょう。
本来はご家族の意思によって適切に火葬からお墓に入る場合、納骨堂に入るケースがあるかと思います。

ただ現在においてはその行為さえ行われないケースが多くみられます。

家族という形態を失った方、または一生涯孤独を貫いた方。

孤独死という言葉では言い表せない、その方の人生があったのだと思います。

今の時代にあって、さらにその傾向が加速しています。コロナ禍というわけでもなく、世相が孤独な高齢者を招いているのではないかと推察します。

それぞれの人の生きざまに接するにあたり、別の人生の選択は必ずあったのだと思います。ただその方向に向かえなかった人たちにどのような言葉をおかけるのでしょう。

今巷に行われている、海洋散骨も最終的にはWaste(廃棄)になりえます。
また寺院等で行われている合同墓地も宗教的なベールに包まれた地中廃棄であることは明らかです。実際地中では土に帰るどころか、カビに侵されて緑色になってしまうケースや雨水に侵されて朽ちるケースがほとんどです。これはWasteではないのでしょうか。

それが一番の方法かはいまだわかりませんが、空気中にあらゆる物質を出さずに、もちろん二酸化炭素も発生せず空気中に昇華させるという方法を、再認識する必要があるのではないでしょうか。またこの技術は使用済みの太陽光発電施設のカドミウムや水力発電で不要になったカーボンファイバーの処理にも活用が可能です。

世間で問題になっているプラスティックの問題も大きな課題ですが、その手前の問題にも注視すべきではないかと思います。